憂楽日記Ver.2

アマチュア無線、コンピューター、海外旅行etc...何でも思いつくままに・・・・

ハム人生50年 (4) JA3AVO 予備免許

予備免許 1959年(昭和34年)5月4日付けでJA3AVOの予備免許が与えられました。この時はCWができませんから、「CW向きのリズムのいいコールだな」なんて感想はありません。世界で一つのマイコールを得た感動のみでした。

 この時に送信機が出来あがっていたのか、残念ながら記憶が定かではありません。試験電波発射の記録も残っていないので、いつごろから電波を出したのかも不明です。試験電波は「ハローテスト、ハローテスト、こちらはJA3AVO、JA3AVO、試験電波の発射中。どなたか、お聞きのアマチュア局ありましたら、レポート交換お願いします」とやるわけです。「QSOお願いします」と言うと、違反です。厳密に言うと、レポート交換も交信のようなものですが、電監も大目に見てくれていたのではないでしょうか。しかし、長しゃべりして電監からお目玉をくらった人もあったとか。

 このJA3AVOというコールについては後日談があります。当時、CQ誌に毎号、コールブックの追補版が付録に付いていて、綴じていく仕組みになっていました。現物が残っていないので、何月号か忘れましたが、順番から言って「載っているだろう」と思った号の付録を開いてみると、なんとJA3AV*のページでJA3AVOだけ空欄になっています。
 その後の取材で、申請日からみると、私のコールはもっと後ろになるはず・・ということがわかりました。本来はJA3B**だったのかもしれません。推測ですが、いったん他の人に割り当てられて、何かの事情で取り消されたコールらしいのです。

 そんな事情はさておいて、その後、運用のモードがCWにシフトしていくにつれ「いいコールだなあ」と思うようになりました。


ハム人生50年 (3) 無線局免許申請

 1958年(昭和33年)も押し詰まった12月30日、無線局免許の申請を出しました。図は、申請書の添付図面です。

 送信機の終段管は、当時定番のUY-807。日本橋のジャンク屋で買ったオンボロで、頭のプレート・キャップがなくて、直接リード線を半田付けしました。乱暴な話しです。
 変調器は、ちょっと風情があって、6V6のプッシュプル。チョークコイルを使った、当時これまた定番に近いハイシング変調でした。
 VFOをつくる資金と技術がなくて、水晶発振。開局時は、水晶片が2〜3個しかなくて、まるでアマチュア無線再開時の「スポット周波数」割り当て同然。3.5MHzと7MHzののみ、電力10Wの申請でした。

 敷地が狭くて、アンテナはTVフィーダーを利用したフォールデッド・ダイポール。いま思うと、安上がりのアンテナですが、結構飛びました。屋根瓦を割って、よく父に叱られました。ご近所では、しょっちゅう屋根に上がって、線を引っ張りまわしている「けったいな」高校生でした。

系統図


ハム人生50年 (2) 父の顔、母の顔

旧2アマ ハムの受験をめぐっては、今は亡き父と母のことに触れなければなりません。

 父は、私がハムの試験を受けると言ったら「合格したら、機械の資金を半分出してやろう」と言ってくれました。これで勇気百倍、1回目のj受験で合格してしまいました。私としては、試験制度が変わる最後のチャンスだったので、背水の陣の心境で勉強していたのです。恐らく父は「不合格」と思っていたらしく、「合格した」と告げた時の何ともいえない顔は、今でも忘れません。

 そして、母の思い出。ある日、学校から帰ってきたら、家の前で母に出くわしました。あの頃の主婦は白い割烹着?を着ている人が多かったのですが、私の顔を見てニッコリ。ポケットから写真の免許証を渡してくれたのです。「天にも昇る心地」とは、こういう時のことを言うのでしょうか。あのときの母の笑顔。今もハッキリ覚えています。

 ちなみに、当時の従事者免許証は、有効期間が5年でした。

ハム人生50年 (1) 初受験から50年

合格証書 電話級(現4級)の新制度ができる直前の1958年(昭和33年)9月、大阪府守口市の大阪電気通信大学高等学校で行われた旧2アマを受験して、無事合格しました。 間もなく50年になろうとしています。

 同年12月末に開局申請し、JA3AVOの予備免許が与えられたのは、1959年5月4日付でした。落成検査をへて正式に免許されたのは8月10日付け。以後、浮き沈みはあったものの、免許を切らすことなく、先日「開局49周年」を通過し、50年目に入りました。「よく続いたものだ」と、我ながら感心する一方、この趣味があったから、リタイア後の人生を楽しめている・・と、感謝する昨今です。
 
 合格通知のハガキの表には「近く電波法が改正されるので、早く従事者免許を申請するように」との趣旨のお知らせが、手書き文字のガリ版刷りで書いてあります。時代をしのばせますね。
いろんな雑誌やWebなどで紹介されている先輩の方々に比べれば、何の特徴もないハム人生ですが、記憶が薄れてなくならないうちに、そして、できるだけ残っている古文書?類を引き合いに出して、書いていきたいと思います。

デスクトップPC 不調

 6月に導入して以来、順調に動いてきたデスクトップPC(emachines「J4504」)が昨夜、突然不調になりました。「SYSTEMファイルが壊れているので、Windowsを起動できない」との表示が出て、立ち上がりません。データとアプリを保護できる形でRecoveryしてみたものの、同じ画面になり、お手上げです。

 全Recoveryしかないかなと思いながら、初めてサポートに電話をかけてみました。なんと、土曜日のゴールデンタイムなのに、すっと電話がつながります。こんなことは初めてです。「HDDの故障かもしれないので、工場出荷状態に戻すしかない」とのこと。指示もてきぱきとしています。指示通り工場出荷に戻したら、WindowsXPが起動しました。

 主要ファイルはかなりマメにBackupを取っているつもりですが、この2日ほどサボっていたため、メールが一部消えていました。やはり、毎日Backupを実行しないといけません。カメラから移した取材済みの写真は、Backupを実行したあとでないと、カメラのCFから消さない癖をつけているので、無事でした。HAMLOGも終了時には必ず外部CFにBackupしているので、無事でした。ホッ。

 しかし、アプリケーションは、しこしこインストールしかありません。丸ごとBackupもしているのですが、前回は購入後間もない7月なのであまり役に立ちません。これもマメにやらないといけませんね。
きょうは1日、アプリの復旧でつぶれそうです。

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