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間もなく半世紀

 某GZさんや某RVさんのBLOGで、「アマチュア無線」のことが語られている。あと2年たつと、私のハム歴も半世紀。よく飽きずにやってきたもんだと思う。
 振り返ってみると、設備はどんどん立派になっていくのに、それに比例してDXの追っかけは、どんどん難しくなっている。QSLカード・ファイルをくって、昔々QSOした珍局を見ても「パイルを抜いて獲った」とか「SASEを出した」とか、苦労した記憶の全くないものが、結構ある。もちろんコンディションの差や、ハム人口の違い、それに難しいentityが残っていることも理由だろう。それにしてもなあ・・・と、同じようなことを18年前、新聞に書いたことがある。↓ いま思うと貧弱な初代のタワーとアンテナを、当時は「大アンテナ」と表現していたのが、我ながら微笑ましい。


[1989.1.21 毎日新聞夕刊 憂楽帳]
◎30周年
 昭和34年、高校3年の時にハム(アマチュア無線)を始めてから、今年は「30周年」に当たる。第2次大戦中は禁止されていたハムが、戦後再開されたのは27年のことだから、戦後ハム史のほぼ8割につきあってきた勘定だ。
 「まさか合格しないだろう」と思っていたらしい父に、約束の開局資金を請求した時の渋い表情を、いまでも思い出す。当時は無線機の完成品などなく、外国製は文字どおり“高値”の花。自作するのが当たり前で、アンテナは竹ザオにぶら下がっていた。それでも、貧弱な設備を駆使して、徹夜で世界の珍局を追っかけたものだ。
 時代は飛んで、わが家の庭にも開局来の夢だった鉄塔が建った。そして、モーターで回転する大アンテナが上がった。しかし、竹ザオ時代に比べ格段に条件がよくなったにもかかわらず、最近は無線機に向かうことがメッキリ減った。
 妻に言わせれば、いつも「年のせいで根気がなくなっただけですよ」で片付けられてしまうのだが、私は腹の中で「財力にまかせた設備投資の優劣が勝負を決めるような、昨今のハムの世界が嘆かわしいからだ」と毒づくのが常だ。オールド・ハムにとって高度経済成長は「一体、何だったのだろうか」と考え込んでしまう、このごろでもある。 (澄)
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某ZW

こちらでは はじめまして。現在も同じ気持ちですか?それとも 気持ちが変わるものなのでしょうか?
まさ
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憂楽日記

Author:憂楽日記
QSL card(交信証)に使っている写真は近くの昆陽池(こやいけ)。
私のウォーキング・コースです。大阪空港から飛び立って下界を見ると、中ノ島が日本列島の形になっているのがわかります。

 昆陽池の大画面はこちら

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