憂楽日記Ver.2

アマチュア無線、コンピューター、海外旅行etc...何でも思いつくままに・・・・

ハム人生50年 (8) CW,7125KHz,SSB etc...

 1960年代は、変更申請を繰り返し、免許の内容が目まぐるしく変わった時期でした。制度がどんどん変わり、運用できるモードやパワー、周波数などが拡大していったからでもあります。
残っている書類をもとに時系列で並べてみると;

・1960年6月 7、100〜7,150KHz帯、50MHz帯を追加
・1960年8月 A3(CW)を追加
・1960年11月 28MHz帯を追加
・1961年7月 14MHz帯を追加
・1962年3月 21MHz帯を追加、28MHz帯を削除
・1963年1月 HF帯、50Wにアップ
・1963年5月 HF帯(7,14,21MHz帯)でA3J(SSB)開始、10Wに変更
・1968年5月 常置場所変更
・1968年6月 28MHz帯を追加、50MHz帯を削除
・1969年3月 50Wにアップ

 1960年代で特筆すべきことの筆頭は、CWを始めたことでしょう。交信相手は海外にも広がります。
そして、第2のトピックは、SSBを始めたこと。パワーもSSBを始めた時に一時10Wにダウンしますが、やがて50Wに戻します。

 7,100〜7,150KHzの免許は1960年12月31日までの時限的なものでした。わずか半年ほどで、ログを見ても詳しい記述はないので、つかの間のワイドバンドをどの程度楽しんだのかは「?」です。

 常置場所を変更したのは、1966年の結婚に伴うものですが、なぜか1年半ほどのブランクがあるので、結婚直後はアパートに引っ越したため、一時QRTしたのではないかと思います。

ハム人生50年 (7) 新2アマ

新2アマ 前回(6)の局免が開局時のものではなく、2代目だったため「やっと、私がこの世にいる時の話になりました」というコメントをいただきましたが、また“前世”に逆戻りしたかもしれません。(^_^;)

 1958年(昭和33年)11月にアマチュア無線の資格は、従来の1アマ、2アマの二本立てから、1アマ、2アマ、電信、電話級(モールスの試験がないクラス)の4クラスとなりました。この変更で、私の取った2アマは1968年(昭和43年)までにCWの追試験(英文45字/分)を受けることにより「新2アマ」に移行でき、7MHz以下、28MHz帯以上のオールモードで100Wの運用が認められることになりました。ただ、10Wを超える局は落成検査が必要で、国際bandの14MHz,21MHzはまだ認められていませんでした。

 “旧”とはいえ折角取得した2アマをふいにするわけにはいきません。いま思うと若かったんですね。1960年(昭和35年)6月に新2アマの従免を手にすることが出来ました。当時は大学1年生。高校2年でハムの試験を受け、3年に開局、大学1年にまた試験・・・。本業の勉強そっちのけでハムにのめりこんでいけたのは、大学受験のないエスカレーターに乗っかっていたからでした。

 この新2アマの取得を境に、私の運用パターンはCWへと大きく舵を切ることになります。

Gold Medal 達成/北京記念局

BT1 北京オリンピック記念の5局(BT1OB,BT1OJ,BT1OH,BT1OY,BT1ON)を含む延べ12局と交信すると、記念Awardの「金メダル」版がもらえます。

 ぎりぎり 12局と交信できました。

ハム人生50年 (6) 無線局免許状

局免 この免許状は、有効期間が「昭和39年8月10日〜昭和44年8月9日」になっているので、残念ながら初代ではなく2代目のようです。14MHz〜28MHzが追加され、モードは「A1,A3J」、パワーは50Wに変わっています。

 当時は変更があると、その都度、免許状を電監に提出して訂正してもらっていたようです。今は全く新しい免許状が送られてきますから、旧免許状を返納せずに放っておくと、どんどん貯まってしまいますね。


 下が切れていますが、これは画像をカットしたわけではありません。縦のサイズがA4をハミ出すほど長いので、A4が限度のコピー機に納まりきらないのです。額に入れても左右が空いて、座りの悪い免許状でした。

ハム人生50年 (5) 新設検査

検査簿 1959年(昭和34年)8月10日、高校が同じだったJA3ATR小山さん宅で、新設検査を受けました。もう1局JA3AVB越智さんと合わせて3局。当時は自家用車などありませんから、大きな筐体3つを自転車の荷台に積んで、約4km南の小山邸まで走りました。移動局とは名ばかり。移動するのは大仕事でした。

 3.5MHzと7MHzのAMのみ、おまけに水晶発振ですから、検査は問題なく合格。郵政技官の某氏が無線検査簿の1ページ目に「合格」と書いて署名捺印してくれました。晴れて「CQ,CQ」が叫べることになりました。

 初めての「CQ」は翌11日、15時20分JST、7MHzでしたが、この時は空振りに終わりました。夜の22時17分、JA3AHY、西宮の一水さんをコールして、交信第1号が成立しました。当時のログによると、お隣の市なのに、送ったレポートは「59〜59+」とQSBがあり、欄外に「QRMあり」とも書かれています。一水さんとは、その後、阪神クラブでお会いして、いろいろご指導を受けることになります。最近も時々コンテストでCWを聞くことがあります。

ハム人生50年 (4) JA3AVO 予備免許

予備免許 1959年(昭和34年)5月4日付けでJA3AVOの予備免許が与えられました。この時はCWができませんから、「CW向きのリズムのいいコールだな」なんて感想はありません。世界で一つのマイコールを得た感動のみでした。

 この時に送信機が出来あがっていたのか、残念ながら記憶が定かではありません。試験電波発射の記録も残っていないので、いつごろから電波を出したのかも不明です。試験電波は「ハローテスト、ハローテスト、こちらはJA3AVO、JA3AVO、試験電波の発射中。どなたか、お聞きのアマチュア局ありましたら、レポート交換お願いします」とやるわけです。「QSOお願いします」と言うと、違反です。厳密に言うと、レポート交換も交信のようなものですが、電監も大目に見てくれていたのではないでしょうか。しかし、長しゃべりして電監からお目玉をくらった人もあったとか。

 このJA3AVOというコールについては後日談があります。当時、CQ誌に毎号、コールブックの追補版が付録に付いていて、綴じていく仕組みになっていました。現物が残っていないので、何月号か忘れましたが、順番から言って「載っているだろう」と思った号の付録を開いてみると、なんとJA3AV*のページでJA3AVOだけ空欄になっています。
 その後の取材で、申請日からみると、私のコールはもっと後ろになるはず・・ということがわかりました。本来はJA3B**だったのかもしれません。推測ですが、いったん他の人に割り当てられて、何かの事情で取り消されたコールらしいのです。

 そんな事情はさておいて、その後、運用のモードがCWにシフトしていくにつれ「いいコールだなあ」と思うようになりました。


ハム人生50年 (3) 無線局免許申請

 1958年(昭和33年)も押し詰まった12月30日、無線局免許の申請を出しました。図は、申請書の添付図面です。

 送信機の終段管は、当時定番のUY-807。日本橋のジャンク屋で買ったオンボロで、頭のプレート・キャップがなくて、直接リード線を半田付けしました。乱暴な話しです。
 変調器は、ちょっと風情があって、6V6のプッシュプル。チョークコイルを使った、当時これまた定番に近いハイシング変調でした。
 VFOをつくる資金と技術がなくて、水晶発振。開局時は、水晶片が2〜3個しかなくて、まるでアマチュア無線再開時の「スポット周波数」割り当て同然。3.5MHzと7MHzののみ、電力10Wの申請でした。

 敷地が狭くて、アンテナはTVフィーダーを利用したフォールデッド・ダイポール。いま思うと、安上がりのアンテナですが、結構飛びました。屋根瓦を割って、よく父に叱られました。ご近所では、しょっちゅう屋根に上がって、線を引っ張りまわしている「けったいな」高校生でした。

系統図


ハム人生50年 (2) 父の顔、母の顔

旧2アマ ハムの受験をめぐっては、今は亡き父と母のことに触れなければなりません。

 父は、私がハムの試験を受けると言ったら「合格したら、機械の資金を半分出してやろう」と言ってくれました。これで勇気百倍、1回目のj受験で合格してしまいました。私としては、試験制度が変わる最後のチャンスだったので、背水の陣の心境で勉強していたのです。恐らく父は「不合格」と思っていたらしく、「合格した」と告げた時の何ともいえない顔は、今でも忘れません。

 そして、母の思い出。ある日、学校から帰ってきたら、家の前で母に出くわしました。あの頃の主婦は白い割烹着?を着ている人が多かったのですが、私の顔を見てニッコリ。ポケットから写真の免許証を渡してくれたのです。「天にも昇る心地」とは、こういう時のことを言うのでしょうか。あのときの母の笑顔。今もハッキリ覚えています。

 ちなみに、当時の従事者免許証は、有効期間が5年でした。

ハム人生50年 (1) 初受験から50年

合格証書 電話級(現4級)の新制度ができる直前の1958年(昭和33年)9月、大阪府守口市の大阪電気通信大学高等学校で行われた旧2アマを受験して、無事合格しました。 間もなく50年になろうとしています。

 同年12月末に開局申請し、JA3AVOの予備免許が与えられたのは、1959年5月4日付でした。落成検査をへて正式に免許されたのは8月10日付け。以後、浮き沈みはあったものの、免許を切らすことなく、先日「開局49周年」を通過し、50年目に入りました。「よく続いたものだ」と、我ながら感心する一方、この趣味があったから、リタイア後の人生を楽しめている・・と、感謝する昨今です。
 
 合格通知のハガキの表には「近く電波法が改正されるので、早く従事者免許を申請するように」との趣旨のお知らせが、手書き文字のガリ版刷りで書いてあります。時代をしのばせますね。
いろんな雑誌やWebなどで紹介されている先輩の方々に比べれば、何の特徴もないハム人生ですが、記憶が薄れてなくならないうちに、そして、できるだけ残っている古文書?類を引き合いに出して、書いていきたいと思います。

デスクトップPC 不調

 6月に導入して以来、順調に動いてきたデスクトップPC(emachines「J4504」)が昨夜、突然不調になりました。「SYSTEMファイルが壊れているので、Windowsを起動できない」との表示が出て、立ち上がりません。データとアプリを保護できる形でRecoveryしてみたものの、同じ画面になり、お手上げです。

 全Recoveryしかないかなと思いながら、初めてサポートに電話をかけてみました。なんと、土曜日のゴールデンタイムなのに、すっと電話がつながります。こんなことは初めてです。「HDDの故障かもしれないので、工場出荷状態に戻すしかない」とのこと。指示もてきぱきとしています。指示通り工場出荷に戻したら、WindowsXPが起動しました。

 主要ファイルはかなりマメにBackupを取っているつもりですが、この2日ほどサボっていたため、メールが一部消えていました。やはり、毎日Backupを実行しないといけません。カメラから移した取材済みの写真は、Backupを実行したあとでないと、カメラのCFから消さない癖をつけているので、無事でした。HAMLOGも終了時には必ず外部CFにBackupしているので、無事でした。ホッ。

 しかし、アプリケーションは、しこしこインストールしかありません。丸ごとBackupもしているのですが、前回は購入後間もない7月なのであまり役に立ちません。これもマメにやらないといけませんね。
きょうは1日、アプリの復旧でつぶれそうです。

XU7PBL Licensed

 11月にカンボジアのアンコールワットを観光したあと、「せっかくだからオンエアしよう」と申請していたXYL(JH3PBL)に、XU7PBLのコールが許可されました。

 タイ在住のXU7AAA米塚さんによると、「おそらくXUからYLがオンエアするのは、久しぶりのこと」ではないかとのこと。日本でも滅多にオンエアしないので、パイルアップになると「お手上げじゃないか」と、今から心配しているのですが、ご本人は「面白そうね」と、のんびりした感想です。Hi

 モードは、SSBとCWがOKですが、3アマを持っているものの、SSBしか出られません。しかし、日本ではオンエアできない14MhzもOK。パワーも100wまでOKですから、案外楽しめるかもしれません。

 今回のメンバーは、XU7ARJ, XU7CJA, XU7PBL, XU7UJR, XU7AVOの5人。電波を出せるシアヌークビルに入るのは、11月6日(木)。10日まで当地にとどまり、2カ所からオンエアします。

ブログ通信簿

blog通信簿 時々はやりますね。この手のサイト。といいながら、やってみました。

 年齢、めちゃ若く出ています。「Masumi」は女性と判定。「気楽度」が高いのに「主張度」が高いのは矛盾する様な気が。影響度は低いですねえ(笑)。

 最近10本を材料にしているそうですから、偏るでしょうね。お遊びとしては面白いです。

イーモバイル

 先日契約したNTTのフレッツスポット。事前リサーチではOKと判断した、よく行く出先のスポットがつながらず、使い勝手も私の用途ではイマイチなので、解約。イーモバイルのPCカードタイプのデータ通信カード「D02NE」に乗り換えました。

 設定も簡単。我が家もサービスエリア内で、すんなりとアクセスできました。電波強度は我が家では「中」程度。まあまあいいんじゃないかと思います。

 選んだ料金体系は「スーパーライトデータ・プラン」で、月23,825パケットまでは1,000円。あと従量に変わって、上限が4,980円。2年以内に解約するとペナルティーが発生する縛りがあります。1,000円分のパケット量が、どれくらいのものなのか、使ってみないと実感としてはよくわかりませんので、しばらく試行錯誤です。

携帯用ミニパドル

携帯用ミニパドル 「これ、いいな」と思うと、すぐに飛びついてしまう悪い癖があるのですが、(有)エイブルの携帯用ミニパドル「MN002」を入手しました。ンkgもあるベンチャーは海外などに持って行くには重すぎるからです。

 ケースがFBですね。ブルーのウレタン?の型にしっかり収納できる構造になっていますが、横から見ると上部に隙間があります。このままではスーツケースの中で踊ると危ないので、フタ側に黒いスポンジを張って軽く押さえるようにしました。

 キーイングすると、小さい割りにカチカチと大きな音がしますが、タッチはいい感じです。ただ、接点間隔を調整する左右のネジが軽く動くのはいいとしても、押さえのネジがないのが、ちょっと気になります。それと、接点を拡大鏡で見ると、もう少し合わせられないのかな・・と思えるほど、ズレています。

 しかし、元々移動用だし、この構造じゃ贅沢言えません。海外運用では、荷物に余裕があれば、ベンチャーを持って行きますが、航空機の重量制限の厳しい昨今、余裕のない時はお勧めの一品です。

第8回レスキューロボットコンテスト

レスコン1
レスコン2
 5日に娘一家がFLにU-タ〜ンしてから、珍しく仕事がつづき、6〜10日連チャンです。正直、暑いので参りますが、たまにはこんなこともないと某誌が白紙になりますので「暑いけど、歓迎」です。Hi

 で、9日(土)、10日(日)は神戸サンボーホールで、表記のコンテストの本選(決勝)を取材。わたしのターゲット(救命!ゴリラ)は予選をトップで通過したので、期待しています。

 いろんな催しがあって、親子連れで楽しめますよ。イベントの詳報はこちら

帰国

0805ITAMI-airport 朝8時・伊丹発のANA機で出発。2ヵ月間にぎやかだった我が家も、超静かになりました。

 6月初めに来た時は、チビたちはほとんど英語。Native English に参りましたが、帰る頃はベタベタの大阪弁。「ほんでなあ」を連発するのには、逆に参りました。(^_^;)

 戻る Florida の家は、ただいま“For sale”。9月の新学期に合わせて西海岸のシアトルに引っ越すことになっています。「売れてからに、したら」の声にも、娘は「いや9月に決行する」と強気です。

 いまANAのWebサイトで見ると、成田11:10発のワシントンDC行きは、出発が大幅に遅れている模様。Orlando行きの便に間に合わないと大変です。西海岸に引っ越せば、こんな心配もなくなりますが、さてどうなることやら・・・。

・・・ ・・・・ −−− − ・−

SHOTA 孫の翔太。今夏、日本最後の夜です。以前からCWに興味を持っていましたが、「SHOTA」の打ち方をパドルで教えたら、瞬時に覚えて正確に打ちました。“じ〜じ”としましては、超感激・感動の一瞬です。

 FCC の US License からはCWの試験は消えていますが、このCWの感を見ていると、“Technician”を取るのは簡単だな・・と、親バカならぬ“じじバカ”で思った次第。

 写真をよ〜く見ると、翔太は左ききですから、パドルは左で打ってますね。字も左で書いているので、CWマンとしては「便利〜〜」というわけではないですが、いまさら左打ちに切り替えられない“じ〜じ”としては、うらやましい。

Field Day Contest

FD ここ数年、FDコンテストには自宅から参加していましたが、久しぶりにJH3YKV(池田市民アマチュア無線クラブ)の一員として、フル参加しました。

 場所は、池田市の五月山墓地公園。写真は、JA3GLU山田さんのBLOGから無断拝借。(山田さん、ゴメンなさい。) 右端が、私の車です。屋根のある建物が、毎年7MHzと50MHzを運用する休憩所。旗の掲揚には普段は使っていないポールを拝借して、7MHzのワイア・ダイポールを張っています。

 今回は7MHzのCWを担当しました。わかってはいましたが、暑さには参りました。Hi お馴染みさんとも多数交信していただきました。その都度、OP名or個人コールは打たなかったのですが、キーイングの雰囲気で「わかってくれているな」という方が、何人もいました。あわただしいコンテストでも、CWのこの味は何とも言えません。

 しかし、明らかに、こちらがrunningしているのがわかっているはずなのに、チャンネル乗っ取りCQをやる局が多いですね。隙間がないから仕方ないのでしょうが、何度か譲らず撃退しました。Hi ま、人のことは言えないかも。

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